Strange Tortoiseの妄想博物館

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横浜・三溪園 紅葉の古建築公開

2012年12月8日(土)

横浜の三溪園で「紅葉の古建築公開 ― 重要文化財 聴秋閣・春草廬・旧天瑞寺寿塔覆堂と臨春閣特別公開」があるというので、会期終了前日に行ってきた。

 

三溪園とは、明治の実業家・原三溪が公開した庭園。 子どもの頃、ちらりと来た記憶があるが、大人になってからは初めて。 かなりの建築博物館ぶりに驚いた。 園内は、一般向けとして明治39(1906)年に公開された外苑と、原家が私庭として利用していた内苑に分かれる。 今回は、紅葉の季節に合わせ、内苑のエリアで由緒ある移築建築が公開されるもの。 内苑入口の御門をくぐり、臨春閣へ。

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重要文化財 臨春閣

建築年:江戸時代・慶安2(1649)年/移築年:大正6(1917)年

こちらは、紀州徳川家初代藩主・頼宣が紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造の別荘建築といわれていたが、大阪にあった春日出新田会所(のちに八州軒とよばれるところ)がもともとの建物だったらしい。 参考:八州軒の跡(大阪市此花区) 内部は、狩野派の障壁画(複製、実物は三溪記念館に)や、凝った意匠がところどころにみられる。

 

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住之江の間(上段の間)の天井 「通常平行に並べられる竿縁(天井板の下にある細い木)を卍型に配しています。 建築家の堀口捨己(1895-1984)はこれに想を得て、名古屋の料亭八勝館行幸の間の天井をデザインしたといわれています。」(解説文より引用)

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廊下 「丸太材の垂木と細竹を交互に並べています。また、中央にあるS字状に湾曲した梁材は海老虹梁と呼ばれ、禅宗様の寺院建築に用いられる意匠です。」(解説文より引用)

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この花頭窓のようなくりぬきの中は二階へ続く階段が。

この花頭窓も禅宗様の寺院建築の意匠。 臨春閣は京都の桂離宮に似た…、などと称される。 私は桂離宮にはまだ行ったことがないので、いつか訪れてみたいと思う。

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重要文化財 月華殿

建築年:江戸時代・慶長8(1603)年/移築年:大正7(1918)年

京都・伏見城にあった、大名来城の際の控え所として使われていたらしい。

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重要文化財 天授院

建築年:江戸時代・慶長4(1651)年/移築年:大正5(1916)年

鎌倉・建長寺近くにあった心平寺跡の地蔵堂

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重要文化財 聴秋閣

建築年:江戸時代・元和9(1623)年/移築年:大正11(1922)年

京都・二条城内にあったとされる、家光・春日局ゆかりの楼閣建築といわれていたが、渋谷にあった稲葉家下屋敷が前身で、その後牛込若松町二条家に移築されたものらしい。

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かっこいい聴秋閣。少し上から見るとこんな感じ。

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重要文化財 春草廬

建築年:江戸時代(小間)/移築年:大正11(1922)年

広間部分は三溪園移築後増設。小間は織田信長の弟の有楽作といわれる茶室。 ちなみに、同じ春草廬という名の茶室が東京国立博物館庭園にあるが、こちらは臨春閣のもとの八州軒の庭にあったものが原三溪から松永安左エ門の手に渡ったもの。

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重要文化財 旧天瑞寺寿塔覆堂

建築年:桃山時代 天正19(1591)年/移築年:明治38(1905)年

豊臣秀吉が母のために大徳寺塔頭・天瑞寺に建てた寿塔を覆うための建物で、 現在、秀吉が建てたものと確認できる数少ない貴重なものだそうだ。 いかにも桃山建築ですね!という感じの唐破風や、かつては色鮮やかだったであろう彫刻が特色。 つづいて、外苑の建築を。

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重要文化財 旧燈明寺三重塔

建築年:室町時代 康正3(1457)年/移築年:大正3(1914)年

現在の京都府木津川市加茂町にあった燈明寺から移築。 加茂町といえば、海住山寺浄瑠璃寺岩船寺など、「名塔の里」といってもいいところ。

 

松風閣

建築年:明治20年代ごろ

別荘として建てられたレンガ造の建物。文化人などが集ったり宿泊したりした。 関東大震災で倒壊してしまい、今は遺構のみが残る。下村観山が四季草花図の襖絵を描いた部屋もあったとのこと。

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残されている松風閣の遺構

 

ちなみに、現在、松風閣と名付けられている展望台からは、こんな工場萌えの風景が。 201212sankeien20.jpg

 

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重要文化財東慶寺仏殿

建築年:江戸時代 寛永11(1634)年/移築年:明治40(1907)年

かつては建仁寺をしのぐ寺領をもっていたという東慶寺。 明治に入って衰退した寺から原三溪が救ったかたちに。 禅宗様の特色を色濃く残す数少ない建物。

 

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重要文化財 旧燈明寺本堂 

建築年:室町時代 康正3(1457)年/移築年:昭和62(1987)年

三重塔と同じ京都・加茂町の燈明寺から移築。 廃寺となっていた燈明寺で、諸事情により修復もされず放置されていたものを復元移築。

 

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重要文化財 旧矢箆原家住宅

建築年:江戸時代後期/移築年:昭和35(1960)年

白川郷にあったもの。御母衣ダム開発に伴い、水没する地域にあった建物を移築。

 

起伏に富み、自然がいっぱいの広大な園内に絶妙に配置されている建築たち。 そこにも原三溪のセンスを窺い知ることができる。 園内にはまた、三溪記念館という展示施設もある。 ここには原三溪の功績や自筆の書画、臨春閣の障壁画などが展示されている。 自ら茶や書画を嗜み、美術品を蒐集し、若手芸術家のパトロンとなるなど、芸術に対する造詣の深さに感服する。 それらが現在伝わる国宝級の美術品だったりする。 「国宝・孔雀明王像」(東京国立博物館蔵)も三溪の旧蔵品だ。 また、三溪の支援を受けていた下村観山の「弱法師」(東京国立博物館蔵)に描かれている梅の木も、三渓園内の臥竜梅がもとになっているという。

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下村観山筆「弱法師」

 

こういう実業家はもう現れないのだろうか…。 ちなみに、奈良好きが唸るこんなものも。

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東大寺礎石の伽藍石

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龍王寺付近出土の石棺(5~6世紀、写真手前)と、法華寺付近出土の舟形石棺蓋(3~4世紀、写真奥)

こういったものにもその価値や重要性を見出し、集め、残し伝えてくれた原三溪と、その意思を継いだ人たちにただただ感謝。

 

参考資料 三溪園ホームページ、パンフレット
西和夫三溪園の建築と原三溪』(有隣堂 2012)