Strange Tortoiseの妄想博物館

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旧奈良監獄見学会

旧奈良監獄とは、明治政府が監獄の国際標準化を目指して計画した五大監獄(千葉,長崎,鹿児島,金沢,奈良)のうち、明治41年(1908年)竣工の唯一現存する建築物。2017年2月に重要文化財指定。2016年度末まで、奈良少年刑務所として使用されていた。

 

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表門

 

設計の山下啓次郎は、東京帝国大学工科大学(のちの東京大学工学部)で辰野金吾のもと建築を学んだ。

同級生には伊東忠太らがいた。卒業後は司法省に勤め、上記の五大監獄を設計した。ちなみにジャズピアニストの山下洋輔氏は、啓次郎の孫にあたる。

 

これまで、毎年9月に「矯正展」として受刑者の作品展示や物販を行う一般向けの行事も行われていたが、閉庁後の施設を広く一般公開する機会はこれが最初で最後?とあり、この日(2017年7月16日(日))は、多くの人が押し寄せた。

私は前日の7月15日に行われるNPO法人主催の見学会に応募していたのだが、こちらもかなりの競争率だったようで、落選。

翌16日は奈良市主催で一般見学会があると知り、奈良旅の予定を組んだのだった。

 

一般見学会は午後1時~5時。私はゆっくりと3時ごろをメドに向かったが、塀の外のグラウンドまで蛇腹状の列ができていた。

猛暑の中、1時間半ほど列に並び、ようやく「入所」。

 

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表門をくぐると正面に見える庁舎はいかにも明治の官公庁建築といった趣き

 

これまで、外観(表門)は何度か通るたびに目にしたことはあったが、中に入るのは初めて。

見学ルートは決められており、それに沿って進む。

 

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放射状に5つの寮(舎房)があり、独房や3人用の共用部屋が連なっている

 

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2階の中央看守所より。ここから5つの舎房が見渡せる

 

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看守所を1階から見上げる

 

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2階の廊下

 

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シンプルな独房。外光も入り、思いのほか明るいイメージ

 

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扉は奈良監獄当初からの木製。頑丈な鍵と覗き窓が

 

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臭いを抑えるため、独房とは違ってトイレ部分が区切られている3人部屋

 

敷地内にはいくつかの実習場があり、受刑者が作業や職業訓練を行っていた。

 

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金魚すくいのポイの製作や、100円ショップ商品の袋詰めなど軽作業が行われていたという第1実習場。屋根の木組がすごい

 

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屋根の木組には、名称の名札が貼られている。職業訓練である建築科の学習に使用されていたとのこと

 

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第1実習場の窓から敷地内を眺める。ここだけでもその広さがわかる

 

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金属加工の作業を行っていた第5実習場。梁には和の意匠がみえる

 

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受刑者が作成した模型。近くにある般若寺の国宝・楼門

 

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医療所もあり、簡単な手術なども行われていたという

 

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医療所の部屋は普通の独房より広い。設立当初よりベッドの利用を考慮してのものらしい

 

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敷地内外にポツンとある、狂操監(写真は裏側部分)。精神不安定に陥った受刑者を収容しておく場所。大声などの騒音が他の受刑者に影響が及ばないようにしたもの。

また、このそばには、江戸時代の奉行所の牢獄が2棟展示されている。諸外国に劣らない監獄と法制度の整備を示すため、当時最新の奈良監獄と対比させるために展示したらしい。

 

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塀の中にはお洒落な街灯も。これだけみると監獄の中とは思えない。

 

想像以上に広く、見学にもかなりの時間を要したが、帰りの新幹線の時間などもあり、名残惜しく少し足早に切り上げた。

 

建物はかなり大事に使われてきているように思ったが、ここまで維持するのも容易ではなかっただろう。

たんなる歴史的建造物の見学にとどまらず、つい最近まで少年刑務所として使われていた生々しさも感じ、知られざる受刑者の生活の様子を窺い知ることもできた。

 

今後は、ホテルや史料館として生まれ変わる予定とのこと。

その折には、また訪れてみたい。