Strange Tortoiseの妄想博物館

旅/建築/音楽/美術/芸術/野球/蹴球/おいしいたべもの

葛飾あるものさがしツアー番外編─夜の立石編

日程:2012年7月27日(金) 奈良を旅する機会が増え、奈良愛・地元愛溢れる人々に出会うと、 「自分は地元のことをどれだけ理解しているだろうか? もっと地元のことを知らなければ…」と思うようになった。 とにかく、子どものころから、目に見えないモノ(地縛霊みたいなものに取り憑かれているような)に縛られ、離れられないのでいる土地なので、“なにか”あることは違いない。 森高千里の曲「渡良瀬橋」の“だけど私ここを離れて暮らすこと出来ない”っていう歌詞が心に沁みる。なんだろうこの感覚…。 さて、このちょっとかわったツアーは「地元学」という考え方にもとづいて、葛飾まちづくり劇場・福原忠彦さんの主催により行われているもの。
地元学とは… 郷土史みたいにただ調べるだけでなく、地元の人が主体になって、地元を客観的に、よその人の視点や助言を得ながら、地元のことを知り、地域の個性を 自覚することを第一歩に、外からのいやおうのない変化を受け止めまたは内発的に地域の個性に照らし合わせたり、自問自答しながら考え地域独自の生活(文化)を日常的に創りあげていく知的創造行為だということである。(元熊本県水俣市職員 吉本哲郎氏が提唱)
「立石」というと、最近は立呑みのモツ焼き屋とか下町の商店街とかでメディアに取り上げられることも多くなった。 私にとっては、生まれた産院があり、子どもの頃は小児科や眼科などに通ったり、塾に通ったり、母と仲見世で買い物をしたり…と、なじみのある町である。区役所もあるので、葛飾区の中心といってもいいだろう。 しかし、それ以外の姿や歴史などはほとんど知らない。 今回は「夜の立石編」というタイトルにかなり魅かれて参加を決めた。 あるものさがしツアーには、必ず地元の人がひとり同行し、参加者の質問に答えたりする。 ただし歩くコースが決まっているわけでもなく、ガイドをすることもせず、参加者は思うままに歩き、いろいろなものをみつけていくという、イメージとしてはブラタモリに近いものだろうか。 今回は、ひとつ「銭湯へいく」というテーマがあった。 あらかじめ配られた地図には4か所の銭湯があったが、どうせなら昭和風情の銭湯がいいなぁといいつつ、総勢6名で最寄の銭湯を目指して歩き出す。 最初から度胆を抜かれたのは、今はスナックがひしめき合う、赤線地帯の名残。 それらしい外観の建物がいくつかある。こんなところが立石にあったとは…。 20120727tateishi01.jpg こちらは昭和20年代後半、カフェー街といわれていたころからあった建物。 現在は貸店舗の看板がでていた。 20120727tateishi03.jpg いかにもそれっぽい建物。今は使われていない。 20120727tateishi02.jpg 昭和40年代秀和レジデンス的な白い外壁の下から、カフェー建築名残のタイルが。 あとはもう気ままに、地元の方も知らなかったという細い路地などをぐいぐい進む。 明らかにトイレ部分が出っ張った古いアパート、鋭角すぎる家など、面白物件も発見。 イカしたトタンの町工場や、カレー工場、靴工場など、町工場が多いのも特徴。 20120727tateishi04.jpg 舗装されていない路地をぐいぐい進む。 20120727tateishi05.jpg トタンの絶妙なカーブはもはやアート。 20120727tateishi08.jpg カレー工場のドアホンの注意書き。 たどりついた1軒目の銭湯は、ビル形式でジェットバスやらリラックスバスやら小洒落たカタカナ文字の看板を掲げており、唐破風の銭湯建築を想像していた私はちょっとがっかり。 2軒目の銭湯に向かうべく、一行は西へ進むことに。 ここでまた、道を一本入ってみると、すごい物件が。 工場の廃墟である。窓がむき出しで、内部が見える状態だった。 夜だけに、何か出そうな、不気味な気配。 鉄工所だったらしく、それらしい物々しい機械が残されたままだった。 地元の人も知らなかった様子。これは大発見。 20120727tateishi06.jpg 袋小路的な路地に入る角に、忽然と姿を現した廃墟。 20120727tateishi07.jpg 中もそのままに残されている、鉄工所跡だった。 さて、西へ進むと、ある通りを境に、きっちり碁盤の目状に区画整理されているのがわかる。 きっちりした通りだけに歩くには面白味に欠けるが、地元の人によると、この辺は昭和10年頃は田んぼだったとのこと。用水路の痕跡もある。 ただ、なんとなく暗くて寂しいなぁ…という印象の一帯。 そうこうしているうちに2軒目の銭湯へ。 こちらも残念ながら唐破風ではないが、近代的すぎず、外観からも広さや天井の高さがみてとれる。 しかし、時間も押していたので入浴は断念し、駅方面へ戻ることに。 途中、昭和20年代頃に日雇専門の職安やそのための安宿があったという辺りを通ったり、廃業したガソリンスタンドの跡など、夜の闇も手伝って“ダークサイド立石”を見た!という感じのツアーになった。 最後、モツ焼き屋さんでふりかえり作業。各々、印象的だった3つを挙げていく。 私は、廃墟、赤線、田んぼの痕跡(突然現る碁盤の目状の区画)を挙げた。他もやはり廃墟や鋭角の家など建物系が多く挙げられた。 「区役所があって、商店街があって…」という私の立石に対する印象は、この夜を境にディープでダークな町となった。 そして「この町にはまだまだ何かが眠っている」と確信したのだった。 関連リンク 葛飾まちづくり劇場 ふっきーの演劇ワークショップ日誌 (主催:福原忠彦さんのブログ)