Strange Tortoiseの妄想博物館

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濃すぎて胸焼けするまち、立石。

2012年9月。 7月の葛飾あるものさがしツアー番外編─夜の立石編に参加し、そのディープな町っぷりに衝撃を受けていた矢先、 同じく「葛飾まちづくり劇場」主催の、演劇仕立てのまち歩きイベントがあることを知った。 さっそく、興味のあるテーマのコースに参加申込することに。 2012年9月15日(土) この日は午前と午後で2つのコースに参加。 午前中はこちら。 立石様の謎を追え~地と血をめぐる物語~」 まずは立石駅下りホームにある「立石様(レプリカ)」で説明をうけ、近くの諏訪神社や、昔の線路の痕跡など。 諏訪神社の鳥居が裏通りに面しているのは、その先にある中川に船で上陸して参拝するのが常となっていたからとのこと。そういえば、佃の住吉神社の鳥居も隅田川に面していたなぁ…。 201209tateishi01.jpg 諏訪神社。鳥居は中川から続く細い路地に面している。 と、中川方面に進むと、本奥戸橋が。橋のたもとには江戸時代からの地蔵尊馬頭観音、道標が残されている。道標をよく見ると、指している方角がどうもおかしい。もともとは道路の反対側にあったものが移設されたらしい。 201209tateishi02.jpg 道標には昔の地名が刻まれている。 川沿いの東テント商会さんで、芝居仕立てのお話を伺う。 渡し船や水門の痕跡、かつてこの川に面して料理旅館が建ち並び、船で乗りつけて遊びに来るような賑わいあるところだったことを知り驚き。 201209tateishi03.jpg かつて賑わっていた川沿い。右手の先に、渡し船の痕跡が残る。 川沿いの道から住宅街に入り、いよいよ立石様へ。 普通に歩いていたらまったく気づかないであろう、住宅街の中の児童遊園の中に「立石祠」の文字が。 「江戸名所図会」では、石の姿がもっとはっきりしていたが、現状は頭を少しだけ地表に現しているのみ。 古墳の石室の石材用に千葉県鋸山付近から運ばれてきたものが、奈良時代に古代東海道の道標に転用されたとみられているのが現在の説である。 「石が根を張って中川を大きく曲げている」「根を見ようと掘り返した人々が次々と病気に…」など都市伝説もあり、古くから畏れ敬い、大切に守られてきたのだろう。 201209tateishi04.jpg 児童遊園の中に、立石祠がある。 201209tateishi05.jpg これが現在の立石様。 その近くには、税務署がある。駅からも遠く、なんとなく薄暗い雰囲気の場所にあるなぁ、と思っていた。 なんと、ここは以前、製薬会社の工場があり、血液銀行となっていたところであった。昭和30年代、仕事にあぶれた山谷の日雇い労働者が専用のシャトルバスで売血に訪れていたという。 この辺の下水は当時、夜には赤い水が流れ、中川に注がれていったという…。そんな過去があるせいか、この辺はほんとうに暗澹たる“気”を感じるのだ。 さて、そんな血液銀行で働いていた人たちも利用していたであろう中華料理店・栄屋がこのコースのゴール。 餃子とチャーハンのセットをいただく。こちらは映画「間宮兄弟」のロケ地としてちょっと話題となったが、最近は前田敦子もロケで来たらしく、店のおじさんも誇らしげ。 201209tateishi06.jpg 栄屋さんの餃子とチャーハンセット。 なつかしい昭和の下町の中華屋さんの味。最近、こういった町の中華屋さんも減ってしまっているので、貴重なお店だ。 午後のコースは、「立石クラシックスでさらに驚きの連続。 まずは、立石といえばテレビなどでよく登場するのが仲見世商店街。戦後の闇市から発展し、「リトル浅草」なんていわれることもある古い商店街。実際に浅草仲見世にある店の暖簾分け店舗や支店もある。 201209tateishi09.jpg 立石仲見世。もつ焼屋などはまだ開店前。 商店街では 鈴木食料品店に立ち寄ってお話を伺う。アーケード内の店舗は2階建の作りになっているようす。 商店街を抜けて、奥戸街道を渡ると、ビリヤード屋や古いアパート、そして謎の看板。 進むとそこはクリーニング店。しかし店構えが何やら不思議な感じ。 なんと、ここはかつて演芸場だったとか!衝撃の事実。その痕跡も。 201209tateishi07.jpg 細い路地にビリヤード。 そして駅方面に戻る途中、仲見世商店街から一歩入った小さな公園。 ここはなんと、映画館があったとか!またまた衝撃の事実。 当時を知る地元の方にお話を伺いながら、歓楽街として賑わっていた当時の立石に思いを馳せる。 続いて、踏切を渡り、呑んべ横丁へ。 ここはもともと、洋品店などが立ち並ぶ「立石デパート」というちょっとした商店街であった。 しかし、戦後の高度経済成長期、この地域の工場の発展とともに、労働者のための呑み屋街へと姿を変えていったという。 201209tateishi08.jpg 昼間の呑んべ横丁。 昭和29年に出来たというこの横丁。一歩足を踏み入れると、タイムスリップしたような感覚に陥る。 香港の路地裏のようなイメージでもある。現在はスナックやおでんやなど、2階建のつくりの店舗が軒を連ねているが、かつては青線だったとも言われている。 最後は、スナック街へ。この辺りは戦後、昭和20年代後半頃はまさにカフェー街として赤線地帯だったところである。その面影を残す建物もいくつか残されている。 このコースの最後は、スナック博多で名物の「すいとん」でシメ。 芝居仕立てでママのお話を伺う。 赤線時代の哀しい女性の話を聴き、衝撃を受ける。そんな時代が、そんな人生が、こんな身近なところにあったとは…。 さて、すいとんはダシがとても美味しく、もっと食べたいくらいだった。 懐かしい昭和のおかあさんの味。 二つのコースとも、最後にホッとする食事にありつけるのだが、 歩きながら見聞きしてきたものすべてが、濃い。 この立石という土地に流れる血、まちに流れる“気”に気圧されて、しばらく消化できないままでいた。 2012年9月19日(水) 「呑んべ横丁はしごツアー」 201209tateishi10.jpg 19時スタートの夜のツアー。 スナックって、ちょっと敷居が高くて入る機会がない。 ましてや、あの「呑んべ横丁」のスナックなんて…。 という方にうってつけのこの企画、呑んべ横丁の3軒のスナックをはしごし、それぞれ個性的な店構えの、個性的なママの物語を、芝居を交えつつ、伺うもの。 もちろん、お酒も呑みながら。 201209tateishi12.jpg 夜の呑んべ横丁。 なかなか体験できないディープな空間で、ディープなママたちのエピソード。 それでいて、つい通いたくなるような居心地の良さを感じるところもあったり…。 201209tateishi11.jpg 201209tateishi13.jpg かつて「立石デパート」だったころの名残。洋品店の看板。 やっぱり異次元に迷い込んだ感覚になる、呑んべ横丁。 タイムスリップとか、昭和レトロとか、そんなものではない。 たとえようのない烈しさに胸かきむしられる感覚に陥るのだった。